泡盛の歴史


 泡盛は、酒税法上「単式蒸留しょうちゅう」に分類されています。原料に米を使用しているので、米焼酎に分類されています。しかし、泡盛と他の米焼酎とは製造上の違いがあります。その違いは、泡盛が全麹の黒麹菌を使うのに対し、米焼酎は白こうじ菌を使用している点。その他、泡盛は通常、原料米にタイ米(インディカ種)を使用している点も大きな違いになっています。
 15世紀初め、琉球王朝時代にシャム(現在のタイ)から伝わったと言われています。それから泡盛は、琉球の特産品として各国王の贈答品や、江戸の将軍への上納品として重宝されました。琉球王国時代は、製造も琉球王府管理のもとに厳しく管理されましたが、明治時代に琉球から沖縄県になってから、民間でも泡盛が作られるようになり、酒屋の数も増えました。しかし、先の大戦では泡盛業界も大きなダメージを受け、危機的な状況になりましたが、現在は、それを乗り越え泡盛は大ブームを迎えています。

 

 琉球から将軍家へ献上された品物の目録をみると、正保元年(1644年)に「焼酒」となっていましたが、寛文11年(1671年)から泡盛酒と呼ばれるようになったことがわかります。元来沖繩では酒のことを「サキ」と呼んでいました。 一説によると粟で「サキ」を造っていたから「粟盛」となり、これがあとに「泡盛」となったと言われます。しかし、東恩納寛惇氏は、前述の「泡盛雑考」の中で、泡盛という名称は原料が粟だったからというよりも泡の形状から出た名称であるとする説の方が穏当のようだと述べています。